福田こうへい 「名曲を歌い継いでいく」という信念を胸に、9月27日発売『縁』の想いを語る
デビュー以降、NHK紅白歌合戦への4度出場、日本レコード大賞新人賞受賞など、演歌歌手として活躍を見せる福田こうへい。自身のルーツである民謡を武器に、高く伸びやかな声で多くのファンを獲得してきたが、そんな福田こうへいが2013年から取り組んでいるのが漢字一文字をタイトルとするアルバム、“一文字”シリーズ。今年9月27日には、2013年に発売した1作目の『響』から数えて通算11作目となる『縁』をリリースした。「名曲を歌い継いでいく」という信念を胸に、今回は新録曲8曲を含めて12曲のカバー曲を収録している。その名曲や、先輩歌手の歌をカバーすることについての怖さ、さらには、現在精力的に全国を回っているツアーを通して感じたことなど、脂が乗り始めた福田こうへいが今の想いを存分に語ってくれた。
元の曲の良さと崩してはいけないところを大切に
――今回の『縁』で数多くの名曲をカバーしています。挑んでみての感想を教えてください。
福田 有名な曲がほとんどで、同じように子供の頃から聴いて育った皆さんも多いと思います。きっと、「福田こうへいはどう表現するのかな」と思うでしょうから、そこがまず面白いところなんです。ただ、紙一重で怖いところもありますよね。やっぱり、歌っていた本人には絶対勝てないですから。簡単そうに見えて簡単そうじゃない、カバーってすごく怖いものですよ。コンサートでも、タイトルを言っただけで「あぁ」って言われることもありますけど、そのときにイメージを悪くしないように、というところは気をつけるんです。
――どう表現するかというところについて意識したことはありますか?
福田 まずは、歌っている本人から崩さないように歌いました。崩すのは簡単なんですよ。でも、味を出すためには変えてはならないところが歌全体にありますから。そこを真似するというか似せるというか、そんな感じで歌いました。
――変えてはいけないところというのはどんなところでしょうか?
福田 皆さんにとって「声」が一番のブランドだ、というところじゃないですか? ポップスも合わせて、歌手の皆さんは全員そうだと思うんですけど。例えば、五木ひろしさんが歌うとすぐに五木さんだとわかるじゃないですか? そういうのが一番大事だと思うんですよ。聴いたときに「あ、この人だよな」ってわかる特徴がないと。本人たちの特徴に合わせることが変えちゃならないところですね。違う曲に聴こえてしまうとその曲が死んでしまうことになりますから。
――今回は新たに、「北国の春」「酒きずな」「酒よ」「夫婦舟」「別れの一本杉」「あんた」「なみだ船」「暖簾」の8曲を歌われました。その感想についても教えてください。
福田 いや、全部がいい歌ですよね。CDとして出すのでなければ、この選曲でコンサートをやりたいくらいです。
――CDでリリースするとコンサートではやりづらいですか?
福田 組み合わせを変えてやる分にはダメではないんですけど。やっぱり、バスガイドみたいに皆さんを誘導していかなきゃならないわけなので、次はこれ歌います、次はこの曲です、としないとお客さんの気持ちは離れてしまいますのでね。船の舵をとっているのと一緒で、流されて流されて沖に行くのではやっぱりお客さんはついてこないんですよね。自分の経験上、聴いた人たちの気持ちをこちらでコントロールするように舵をとらないと、「この間見たからもういいや」って飽きられてしまいますね。
――コンサートを楽しんでもらうためには、同じ選曲や曲順で臨まない方が良いということですね。それぞれの曲で何か思い出はありますか?
福田 自分も幼い頃から聴いていた曲が多いんですけど、例えば、「夫婦舟」はあまり印象がなかったんですけど、歌ってみたら「この歌はうちのおふくろが歌ってたな」って思い出しました。「縁」があった歌でしたね。演歌は今でもそうやって継承されているんじゃないですか? おばあちゃんやおじいちゃん、お母さんやお父さんが鼻歌で歌っているのを聴くことで。タイトルはわからなかったとしても。
――並べると演歌には東北が舞台の曲が多いと気づかされますが、その点で今回は歌いやすかったでしょうか? 特に同郷となる岩手県出身の千昌夫さん、縁のある青森県出身の吉幾三さんの曲は2曲ずつ歌われています。
福田 そこはうちら(民謡歌手)が有利なところですよね。喋りにもなまりは出ますけど、歌の中でのなまりは味になるんですよ。そういった特権が他の歌手よりもあるかとは思いますね。ただ、「北国の春」についてはまっすぐ歌うと歌いやすいんですよ。
――そうなんですか?
福田 はい。(実際に千昌夫の歌い方を真似て)「しぃんらかばぁ~」というところを「し~らかば~」と歌うことで、新しいというか清々しい「北国の春」を福田こうへいは出します、というところがありましたね。表現自体は変わりないですけど、故郷(くに)の風景が変わるというかね、千さんは岩手の「北国の春」ですけど、自分は秋田や青森の「北国の春」を出してみた、という感じですね。しゃくりというものをあえて入れないことによって、味ではなく清潔感といったところが出しやすくなります。
――演歌では、お国柄みたいなところも表現していくことが大切なんですね。
福田 福田こうへいというところよりも、歌にまず故郷が出ますから。東北出身というところが全体に出て、それから「岩手の生まれかぁ」と思い出させるでしょうね。勿論、曲によっても違っていて、例えば「兄弟船」は漁師の歌なんですけど、山形の日本海側なのか、(太平洋に面した)三陸側なのか、それとも津軽海峡なのかによって、海の荒々しさが違ってきますから。そうすると漁師の作業の時間も変わってきます。何時間も仕事する船の歌なのか、2、3時間だけどすごく大変なのか、同じ船の歌でも違うんですね。
――歌手はそこも歌い分けていくところがあるんですね、
福田 あるんですよ。だから、内陸の人だと漁師の歌でもわからない部分がありますね。北海道は全部が海に囲まれているけど、帯広や旭川といったど真ん中の人たちだと、海にちなんだ感じの威勢はやっぱりちょっとわからないんですよね。あと、内陸の人には海に対する羨ましさがあるとか。海の人間は口を揃えて内陸には住みたくないと話しますし。そういった土地柄みたいなのが歌にも出ますね。自分たちは内陸(岩手県盛岡市)なので、津波みたいな被害のない盆地に住んでいますけど、海の人たちは津波で何もかも失くしてしまっても海のそばから離れたくないと言ってそこに戻るくらいなんですよ。
――東北の場合、雪の怖さに対する話も土地ごとに違っていると聞きます。そういったところでお客さんの反応も変わるところでしょうね。
福田 変わります、変わります。ゆっくり降る雪と、積もった雪が吹き上げられる「地吹雪」と、それから猛吹雪もあるし。「吹き溜まり」っていうのもあって、そこを歩くと全然進まないんですよ。でも、今の小学生が吹雪の中を歩いて登校しているかというと、みんな、送り迎えされていますよね。そうなると、雪に関する演歌を聴いても多分、想像つかないんじゃないかと思いますね。
――歌ってみて難しい曲はありましたか?
福田 実は、「なみだ船」と「暖簾」が難しかったですね。自分は音符が読めないので、間違えて覚えていた部分を直すのが大変だったんですよ。音で聴いてから、「あ、こう歌っているのか」と歌い直し、歌い直ししていきました。キーが違うというのもあったんですけど、1、2、3番と同じところを間違えて覚えてもいたので。
――ただ、聴きなじみのある曲ではあったんですね。
福田 そうですね。「なみだ船」は民謡歌手の方々が歌っていました。それから「別れの一本杉」は、難しかったというか低音で気をつけたところはありましたね。低音で歌うことで、春日さんの歌を聴いたことがある人たちは自分の記憶と照らし合わせられるんですよ。本人にはやっぱり勝てないんですけど、本人と同じような雰囲気を出すことで喜んでもらえれば、と思っていました。
――その意味では女性の歌をカバーするのは難しいですか? 『縁』では天童よしみさんや三笠優子さんの曲を歌われていますが。
福田 自分の場合、民謡歌手でもあるというところで高い声も出せるので。コブシをきかせるところでも女性の声に近くなるし、歌の特徴的な味は出しやすいんじゃないかと思っています。だから結構歌いますよ。それに、女性の歌も歌ってくれるということでファンの皆さんが喜んでくださいます。
――一文字シリーズをはじめ、多くの曲をカバーされていますが、ご本人に感想を聞く機会はありましたか?
福田 いや、一方通行ですね。五木さんの番組で、本人の歌を本人の隣で歌う機会もありましたけど、まあ、聞かないですね。年や経歴が下の者たちは「すいません、歌わせていただきます」だけじゃないですか? 「声」というものはかけてもらうのであって、後輩は待っているしかないんですよ。
――では、褒めてもらったり励ましてもらったりと声をかけられることもなく?
福田 ないですね。「ゴルフに行くぞ」くらいしか(笑)。コロナ禍になる前はしょっちゅう声をかけてもらって一緒に行ってました、はい。それは、自分がゴルフをやるという話が外から巡っていって、それで声をかけてもらったんですよ。そのあとはこっちからもLINEで連絡するようになりましたね。
耳の肥えたお客さんに対して毎日身を引き締める想いで
――今、全国を巡るコンサートツアーのまっただ中です。カバー曲を歌われることもあるかと思いますが、今回のコンサートについてはどのような気持ちで臨まれていますか?
福田 これはコンサートでも言っているんですけど、「今までが贅沢すぎた」とは思いましたね。コロナが収まってきて、コンサートをまた始めたときもお客さんはまだ(席の隣を空ける)市松状態でしたけど、でもその1回がすごく貴重でした。コンサートができるということが今までの3倍も4倍もありがたいと思ったことはないですね。
――各地を巡る中での実感ですね。
福田 そうですね。それにコロナの影響のせいか、本当は来る予定だったのに亡くなってしまったという(ファンの家族からの)お手紙もたくさんいただきましたし、(遺影)写真を持って来られる人が随分と多くなったと思いましたね。握手会の時など、そのお写真をお借りして、連れてきてくださってありがとうございます。という意味で胸にあてるとこしかできないんですけどね。
――ツアーの半分ほどを過ぎましたが、印象に残ったステージや土地はありましたか?
福田 どこかなぁ。去年は秋田に行かせていただいたとき、すごく盛り上がったのを覚えているんですよ。みなさんの我慢が爆発したんじゃないかと思いますけど。今年は(7月9日に)宮城県美里町文化会館に行ったとき、コンサート会場の空調が壊れて送風しかできなくなったんですよ。すごく暑い中で歌って、お客さんも暑さに耐えながら聴いてくれて。そんなこともありましたね。
――でも、そういったトラブルもお客さんにとっては一つしかない思い出になりますね。
福田 あとは、コンサートが終わったあとに靴のヒールが取れちゃって、後ろに倒れてしまった人がいました。なんだか、皆さんが無事帰られるかどうか心配なんですよ。家族の人たちがやっとの想いで送り出してくれたでしょうから。
――福田さんにとってコンサートとはどういった場所ですか?
福田 自分はね、歌手である以前に人を喜ばせたいんですよ。だけど、喜んでもらった上にほとんどの人がね、「元気をもらいました」って帰っていかれるんですよ。それを聞くと「良かったな」って思いますね。
――コンサートに臨む際、これだけは忘れてはいけないということはありますか?
福田 手抜きをしないことです。
――シンプルですが一番大事なことですね。
福田 はい。しょっちゅう来られるお客さんは、「もう少し力抜いていいんですよ」って言ってくれるんですよ。でも、その日に初めて見る人もいるじゃないですか。あとは、「興味がなかったのに誘われたから来たんだけど……」という人に対して、「期待していなかったけど良かった」って思わせて帰すことができるかは自分次第ですからね。漁師さんの、どこでもそのときそのときにできる精一杯を全てやる、という言葉と同じですよね。今までやっていないことは今日出せないです。スポーツ選手も一緒ですよね。だから、それは継続していこうと思います
――そこがコンサートを待ち望むファンの多さにつながっているのかもしれませんね。
福田 「親子3代で来ました」」という人も多いんですよ。「孫が(チケットを)プレゼントしてくれたんだよ」っていうおばあちゃんもいるんですけど、どうしても送り迎えは必要だから、「じゃあ」ってことで一緒に聴きに来てくれるとかね。ただ、どうしてもお父さんやお母さんは仕事を持っている世代だから、曜日が合わなければ来れない人もいるので、できるだけコンサートを数多くやらせてもらおうと思っています。そうすることで、みなさんの良いタイミングで誘い合わせて来てもらえれば。あと、一人暮らしのおじいちゃんやおばあちゃんだと、駅までも到達できない人も多いんですよ。そこからさらに電車で2時間かかるという駅までね。だから、近所の人たちが気にかけて、声をかけてあげるような状況なので、コンサートが増えることで、そういうつながりのきっかけにもなれば嬉しいと思っています。
――友達と会うために病院の待合室が老人の集会所になっているとはよく聞きますが、福田さんのコンサートも皆さんの心のよりどころに。
福田 いや、そうですね。実際、病院の先生が書いた新聞記事を送ってきた人がいたんですけど、福田こうへいのコンサートに行きたいから体調を整えるために病院へ薬を処方してもらいに来た、という人がいたらしいんですね。その病院の先生も冗談半分で、今度は自分も福田こうへいクリニックに行ってみようか、なんて言っていましたけど。あとは秋田でね、寝たきりみたいになった男性に「来年も頑張って来るんだよ」って言ったら、次の年には車椅子に乗って、喋れるようになって来たんですよ。その男性は、「去年、こうへいさんに声をかけてもらわなきゃ、多分、家族に安楽死してもらわなきゃいけなかったんじゃないか」なんて言っていましたけど。
――コンサートは聴く人の支えになっていると実感できる場でもありますね。
福田 でも、東北には冬に行かないようにするとか考えますよ。雪が降ると大変なのでね。皆さん、冬の北海道には興行に行かないですものね。あとは農繁期はずらすとか、漁業の盛んな街には漁が大変な時期に行くと困るとか。
――聴きに来てくださる方の生活のことも考えると、確かに場所も公演回数も増やしていかねば、という気持ちになりますね。
福田 その気持ちは強いですね。会場は小さいとしても、大きな駅から遠い場所にだってコンサートできる場所はあるんです。「そこだったら行けるのに」って手紙もすごく多いので、ひと公演だけでもね、そういう場所に行って歌うことができればいいな、と思っています。
――年内は残りのコンサートで変わらず全国を回りますが、年末には紅白歌合戦や賞レースなども控えています。福田さんとしてはそちらに向けてどのような気持ちでいますか?
福田 やっぱり応援してくださる人への恩返しですよね。最近はコンサートの方が多いのでTVに出てくださいという声もよく聞くんですけど、やっぱり収録とコンサートが重なることも多いのでね。でも、TVを通してみなさんを元気にしてあげたいとは思っています。そのためにはまず、選んでもらえるように努力していくしかないですけどね。
――あらためて、昨年メジャーデビュー10周年を迎えての2023年でしたが、何か想うところはありましたか?
福田 今からが一番脂ののる年齢じゃないですか? 今年で47歳になりましたけど、48、49、50、51、52、53、54という、この8年から10年が演歌歌手としては味が出てくる頃だと思います。民謡歌手も40を過ぎてから55歳までが一番声は出るし、味があるし。だから大会に出ても負けるんですよ、青二才は。そこで(青二才が)背伸びをして人真似をしても聴く人にはわかってしまう。だから、これからの積み重ねが声とともに味として出てくると思いますよ。
――時代の流れとしては、芸能でもスポーツでも若い人の台頭が目立っていますが……。
福田 歌は違いますよ、歌は。ひいお祖母ちゃんがボソッと言った、「目の見えない人が一番耳が肥えているんだから、そこ、気をつけろよ」という言葉をよく覚えているんですよね。本当にそこが歌の怖いところです。ひいお祖母ちゃんはTVを見ていると、初めは音だけを聴いているんですよ。で、下手だと思ったらパチッと(TVを)消しちゃう。上手いと思ったら初めて、TVに向き合って歌を聴くんですよ。演歌ファンって耳の肥えている人がいっぱいいますから、そこで選ばれてこそプロになれるんじゃないかと思います。若い人もこれからそうやって育っていくんでしょうね。
――聴く人の目も耳も厳しい世界なんですね。
福田 いや、厳しいですよ。毎日ふるいにかけられていると思っていますから。落ちたら「まんだ(=まだ)なんだな」って気持ちになりますし、ふるいにかけられても網の目に引っかかるくらい大きなだんごにならないといけないんですよ。それくらいの気持ちでいないとダメじゃないかと思っています。
Information
福田こうへい アルバム『縁』(読み:えにし)2023年9月27日発売
<収録曲>
1.兄弟船(鳥羽一郎)
2.北国の春(千昌夫)★
3.矢切の渡し(細川たかし)
4.酒きずな(天童よしみ)★
5.酔歌(吉幾三)
6.兄弟仁義(北島三郎)
7.酒よ(吉幾三)★
8.夫婦舟(三笠優子)★
9.別れの一本杉(春日八郎)★
10.あんた(千昌夫)★
11.なみだ船(北島三郎)★
12.暖簾(五木ひろし)
( )内はオリジナル歌手名/★は新録曲
ご購入はこちら
https://www.kingrecords.co.jp/cs/g/gKICX-1176/
ダウンロード・ストリーミングはこちら
https://king-records.lnk.to/fukuda-enishiPR
オフィシャルウェブサイト
http://fukudakohei.info/