プログレを聴こう~KENSO探求紀行~Vol.3
KENSO『KENSO(Ⅲ)』(1985年)清水義央によるセルフライナーノーツ
1982年の夏に『KENSOⅡ(SECOND)』の制作を終え(リリースは12月)、神奈川歯科大と東京音大の学園祭で演奏したあたりで私は完全にエネルギー切れ、曲ができなくなった。曲のストックはゼロ。さてどうしましょうか、、、クラシックの作曲法の本を読んでみたが独学では分からないことだらけ、大好きだったラヴェルやドビュッシーの曲を耳コピー(ロックじゃないんだから無謀です)+山本くんから借りた若干のピアノ譜を頼りに自己流で学んでいった。そんな中から後に「胎動」になる、作り始めた頃は「どうだプログレ」と呼んでいた曲ができていった。
そして、またしても追い風となる出会いがあった。1982年の年末、既に歌手のバックバンドなどで仕事をしながら東京芸術大学を目指していた佐橋俊彦くんを友人から紹介されたのだ。83年3月、見事、芸大作曲科に合格しKENSOに加入してくれることになった。今や大御所作曲家である佐橋くん、正に“栴檀は双葉より芳し”で、最初からすごかった。初リハーサル時、嫋やかに歌っているようなシンセプレイに感動、彼の体から音符が溢れてくるようだった。彼と山本くんとが作曲について専門用語で会話するのにはコンプレックスを感じたが、素直に「それってどういうこと?」と質問し、ふたりから本当に多くのことを教わった。
初期KENSOの一つの個性であったフルート、その矢島史郎さんが歯科医業に専念するため1983年4月のライブをもってバンドをやめることが決まっていた。その約一ヶ月後の新宿ロフトでのライブから、今に至るツイン・キーボード体制(最初は、佐橋・牧内)が始まった。
『KENSOⅡ』同様、Fostexの8トラックレコーダーで「胎動」「精神の自由」そして山本くん作曲の「JIGSAW」(のちに「Turn To Solution」というタイトルに私が勝手に曲名変更、ごめんね山本くん)を録音。
そんな時期、山本くんがFostexから出たばかりのB16という16トラックレコーダーを60回月賦で購入。何もここまで張り合わなくてもよいだろうに、私もそれが欲しくて欲しくて、あれほど宝のように思っていたFostex A8を後輩に売りつけ、自分も月賦でB16を購入。このB16は『夢の丘』の制作まで私の自宅録音を支えてくれることになる。いつの頃からか、足の指でB16の各種スイッチを操作できるまでになった(良い子の皆さんは真似してはいけません)。
1983年春から夏のライブは佐橋くんの加入によってバンドは絶好調、そのまま勢いづいていくかと思われたが、佐橋くんが多忙になってきたため、新しいキーボード奏者を探すことになった。友人から町田のプログレ・キーボード・トリオ“ピノキオ”のデモテープを聴かせてもらい、キーボードの疾走感あるプレイと新感覚のハーモニーに惹きつけられた。その大学生キーボーディストこそ、長年KENSOで私と苦楽をともにすることになる6歳年下の小口健一くんであった。
牧内&小口というタイプの異なるキーボーディストのプレイがKENSOの新たな個性となり、それに刺激されて「聖なる夢」「Power Of The Glory」といった曲が生まれた。
しっかし、「ブランド指向」同様、「Power Of The Glory」とはなんという捻りのないネーミングだろう。「知らない人は知らないんだから自虐ネタはいらないんじゃない?」という声が聞こえそうだが言ってしまおう。「Power Of The Glory」は作っているときは「王様の歌」と呼んでいた。当時の私はGENTLE GIANTの大ファンで、中でも『POWER AND THE GLORY』というアルバムに心酔していた。ご存知ない方は『POWER AND THE GLORY』のジャケ写をどこかで検索してください、、、、「だから、王様の歌」そしてそれじゃあんまりだと変えたのが「Power Of The Glory」では芸が無さすぎる、このへんがアマチュアだったよなあ。
アマチュア、そう、この曲は某音楽出版社主催テープコンテストで演奏賞だかをとったのだが、この頃はまだキングレコードからデビューするという話もなかったはず。日本のプログレシーンでの人気は高く、1984年春にはプログレの殿堂・シルバーエレファントで二日間のライブを行うはずだった。しかし、牧内くんが重篤な病気で入院することになり、急遽佐橋くんに出演を依頼、1日だけライブを行った。その後牧内くんの病状は回復せず、小口・佐橋ツイン・キーボード体制となった。そして知人に預けていたデモテープにキングレコードのディレクターが興味を持ってくれて、遂に憧れ続けたメジャーレコード会社から、帯付きのLPを出せることになった。これは嬉しかったですね!
「ノスタルジア」は同名のタルコフスキーの映画にインスパイアされた曲で、研究室の先輩のお嬢様だったオーボエ奏者に色を添えてもらった。これも軽音部室録音でマイクロフォンのセッティングも私の素人技術、もっと美しく録って差し上げたかった。
「Far East Celebration」ではフルート奏者の矢島さんにお願いして吹いていただいた。
そしてっ!!当時の私にとっては雲の上の存在だった難波弘之さんに恐る恐るお願いしてみたら、快く相模原の山本くんの自宅スタジオでまでお越し頂き、「Turn To Solution」のキーボードソロを弾いてくださったのだ!!!
「うーん、ここはちょっとコード感が足りないから足しますね」とか「隣の家の洗濯物を見ながら弾くのは初めてですね」などとおっしゃりながら。
もったいないことでございます。難波さん、どうもありがとうございました。
あと、このアルバム最大の後悔はアルバムタイトルを『KENSO』(便宜上『KENSO(Ⅲ)』と表記する場合が多い)にしたことです。自主制作のファーストと同タイトル、紛らわしいことこの上ない。キングレコードから出せることになって嬉し過ぎて、そこまで気が回らなかったのかも。
■KENSO『KENSOⅢ』
https://lnk.to/KENSO3
■プレイリスト第2弾「KENSOを聴け(初心者編)
https://lnk.to/KENSO_Playlist2
■プロフィール
清水義央 Yoshihisa Shimizu (Guitar)
小口健一 Kenichi Oguchi (Keyboards)
光田健一 Kenichi Mitsuda (Keyboards)
三枝俊治 Shunji Saegusa (Bass)
小森啓資 Keisuke Komori (Drums)
1974年、リーダーの清水義央を中心にKENSOを結成。バンド名は在籍校であった神奈川県立相模原高校の略称“県相”に由来する。1980年に自主制作盤1stアルバム『KENSO』をリリースし、1985年にキングレコードのNEXUSレーベルより3rdアルバム『KENSO(Ⅲ)』でメジャー・デビュー。以降、メンバーチェンジを経ながらも長きに亘って活動を継続。ロックをベースに、クラシックやジャズ、民族音楽といった様々なジャンルの要素を採り入れた音楽性や高度な演奏テクニックによって国内外で多くの支持を集め、海外のロック・フェスティバル出演経験も持つ日本屈指のプログレッシヴ・ロック・バンド。