プログレを聴こう~KENSO探求紀行~Vol.1
KENSO『KENSO』(1980年)清水義央によるセルフライナーノーツ
記念すべきKENSOのファーストアルバム『KENSO』は、私が歯科大5年の1980年12月にリリースされた。
同年9月にLED ZEPPELINのジョン・ボーナムが事故死し、12月にジョン・レノンが射殺されるという、自分のロックアイドルが立て続けにこの世を去った時期だった。
私と町田の輸入盤屋PAMの末武店長との共同出資というかたちで400枚作られた。中途半端な枚数に感じるだろうが、二人の出せる額がそれで限界だったのだ。もともと、学生時代の記念盤的な意味合いで作られた部分もあるため内容はいささかまとまりに欠けるが、自主制作とはいえ、自分たちのやりたい音楽を“LPレコード”に収めるという、中学生でバンドを始めてからずっと抱き続けた夢がかなった作品である。
初期KENSOの最重要人物である山本治彦くんは当時、東京音楽大学作曲科に在籍しており、このファーストの時は正式メンバーになるなんてまったく考えておらず、 “お手伝い”のつもりだったそうだ。一人多重録音で、数々のテープコンテストの常連受賞者であった彼と本作を作る過程で私は「これからも山本くんと一緒にやりたい!」と強く思った。そのくらい彼はすごかった。演奏だけでなく多重録音のテクニックも卓抜していた。
「日本の麦唄」のあと数ヶ月置いて「陰影の笛」「海」の順でレコーディングは進められた。「日本の麦唄」では“このヘンテコな曲にどうやってドラムをいれよう”と困惑した様子が伺われるが、「海」に至る過程でセカンドアルバムの秀逸なドラミングの萌芽が見られる。作編曲面でも彼から教わったことは多かった。
このアルバムで一番古い曲は、ベーシスト田中政行くん(彼とは幼稚園の時に出会った。小学校は学区の関係で別だったが、中学校で再会した時、期せずしてお互いロックの虜になっており、初めてのバンドを組むことになった)が1976年に作った「ふりおろされた刃」、ハードロック期KENSOの曲だ。
ボーカルの塚平喜昭くんは1974年KENSO結成時からのメンバーで、本作を作っていた1979年時には既に一緒に活動していなかったが、私の横暴、もとい、要望に応えて歌を入れに来てくれた。彼としてはKENSOでガンガン歌ってた頃の録音を世に出したかったかもしれない。若き日の私、自分勝手でした。みんな、ごめん。
そして、このファーストの問題作「かごめ」。1978年ごろだっただろうか、神奈川歯科大の軽音楽部部室にて、夜な夜な「かごめセッション」なる即興の集まりが催されていた。
メンバーは私、国立音楽大学卒後、数年間フルート奏者として活動した後に歯科大に入り私と同級生となった矢島史郎さん、のちにKENSOのメンバーとなる歯科大後輩、牧内淳くんを核とし、時々早稲田大学在学中の田中政行くんらが加わった。
このセッションのアイディアの元になったのは、おそらくギリシャのバンドAPHRODITE’S CHILDの怪作『666』に収録された「∞」という曲だったと思う。ギリシャの女優イレーネ・パパスの衝撃的なボイス・パフォーマンス、私がこれをカヴァー?している録音も残っている(絶対に公開しないが)。そうした、言わばお遊びみたいな録音の中で最も出来の良かったテイクをベーシックトラックに、歯科大の二つ先輩でクロスというプログレバンドで屋根裏(昼の部)などに出演していたロジャー鈴木さんという大富豪の息子さんの自宅スタジオで、当時とてもとても手が出なかったTEACの8トラックレコーダーを使わせていただいて私がダビングを重ね、ひとつの作品にした。「なんだこれは?」という声と同時にこれを評価してくれる方々もおられた。貴方はどう感じるだろうか。
GENESISなど、大好きだったイギリスのバンドからはどうして行ったこともないイギリスの香りがするのか?それに対する若気の至りがいわゆる日本音階を使うことだった。そういう意味では KENSOの原点だと言えるかもしれない。
「ブーちゃんの宙返り」は童謡を牧内くんがシンセで多重録音し、そこに私や彫刻の森美術館の創設者を父に持つ歯科大後輩、井上真樹くんらがコーラスを重ねた。
■KENSO『KENSO』
https://lnk.to/_KENSO
■プレイリスト第1弾「KENSOの前にコレを聴け」
https://lnk.to/KENSO_Playlist1
■プロフィール
清水義央 Yoshihisa Shimizu (Guitar)
小口健一 Kenichi Oguchi (Keyboards)
光田健一 Kenichi Mitsuda (Keyboards)
三枝俊治 Shunji Saegusa (Bass)
小森啓資 Keisuke Komori (Drums)
1974年、リーダーの清水義央を中心にKENSOを結成。バンド名は在籍校であった神奈川県立相模原高校の略称“県相”に由来する。1980年に自主制作盤1stアルバム『KENSO』をリリースし、1985年にキングレコードのNEXUSレーベルより3rdアルバム『KENSO(Ⅲ)』でメジャー・デビュー。以降、メンバーチェンジを経ながらも長きに亘って活動を継続。ロックをベースに、クラシックやジャズ、民族音楽といった様々なジャンルの要素を採り入れた音楽性や高度な演奏テクニックによって国内外で多くの支持を集め、海外のロック・フェスティバル出演経験も持つ日本屈指のプログレッシヴ・ロック・バンド。