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麻倉未稀スペシャル・ロング・インタビュー<Vol.4>〜バブル期真っ只中の海外レコーディング!そして原点『ミスティ・トワイライト』の大人路線へ〜

1981年にデビューし、40年以上のキャリアを持つシンガー、麻倉未稀。彼女がこれまでに残したおよそ200曲の楽曲が、ついに配信解禁となる。「ホワット・ア・フィーリング~フラッシュダンス」に代表される洋楽カヴァーだけでなく、筒美京平の書き下ろし楽曲や昨今ではシティポップの文脈で再評価されるリゾートポップまでバラエティに富んだレパートリーにあらためて驚かされるだろう。では、麻倉未稀はどのような音楽変遷を経て、数々のヒット・ナンバーを生み出すに至ったのか、そして現在までどのように音楽と向き合ってきたのか、音楽と旅のライター栗本斉を招き、生い立ちからじっくりと語ってもらったインタビューを4回に渡ってお届けする。

バブル期真っ只中の海外レコーディング!そして原点『ミスティ・トワイライト』の大人路線へ。ロングインタビュー最終章!

—『DREAM DREAM』にはそういった古い楽曲とリアルタイムが混在していますよね。

「スター誕生(EVERGREEN)」や「PEOPLE」が入っているということは、バーブラ・ストライサンドがお好きだったんですね。

麻倉:はい、大好きでした。こういった少し古い曲はわたしが選んでいます。

—なるほど。このアルバムの映画音楽や洋楽のカヴァーは、麻倉さんの代名詞になっていて、その決定版みたいな作品ですね。最後に「WHITE CHRISTMAS」で締めるところも、とてもいいアルバムだなって思いました。

麻倉:ありがとうございます。「WHITE CHRISTMAS」は父の思い出がいっぱい詰まっているので、絶対歌いたいと思っていたんですね。子どもの頃、住んでいたのは団地でしたけれど、いつもクリスマスシーズンになると生木のもみの木があって、姉と2人で飾り付けをしていくのが毎年12月の恒例になっていたんです。母がチキンを焼いて、近くの親戚が集まってホームパーティーをしていた記憶があって、その時に必ずビング・クロスビーなどいろんなクリスマスソングがかかっていたんです。

—素敵な思い出ですね。

麻倉:「WHITE CHRISTMAS」は、アレンジの青木望先生が「これ、同時録音しよう」って言ってくださって、当時、講談社のビルの中にあった大きなスタジオにミュージシャン全員で入りました。ヘッドフォンから耳に入ってくるサウンドがあまりにも素敵すぎて、「本当に私、歌っていいのかな」って思ったくらい。青木先生も「久しぶりに貴重な経験させてもらったよ」とおっしゃっていました。一斉に録音することも昔は普通だったけれども、その頃はすでに別々に録ることが多くなっていたから。随分経ってから青木先生に会った時も、「あの時は楽しかったよ」っておっしゃってくださったのがいまだに記憶に残っています。あれは本当に気持ちよかった。

—やっぱりしっかりとステップ踏んで、ある程度自分のやりたいことができるポジションになったからこそ実現したってことでしょうか。

麻倉:ええ、それはありますね。

—そしてこの次の1986年4月リリースの『WARM ICE(AUSSIE BLEND)』はまた一転して、シドニーで録音されています。どういういきさつでこうなったのでしょうか。

麻倉:お友達が住んでいたので、毎年ニューカレドニアに遊びに行っていたんです。でもこの時はレコーディング時期が重なりそうだったので、「今年はいけないなあ…」って沈んでいたら、「じゃあシドニーで録っちゃいますか」みたいな話になったんです。レコーディングというとアメリカっていうイメージがあったんですけれど、現地のミューシシャンを起用して、アレンジは佐藤準さんに全部お願いしました。3週間くらいアパートメントに滞在したのですが、すごく面白かったです。その間、ライターの方がシドニーに来たので一緒にロックフェスに行って取材をしたこともありました。

—意外にも、この時が海外のミューシャンとの海外録音が初めてなんですよね。日本とは違うことってありましたか。

麻倉:「TEARS(The Outside of the tears)」を録った時に、今までにやったことのないようなレコーディングの仕方をしたことがあったんですよ。ヴォーカル入れの時に、いろんなマイクが並べられていてひとつずつ試しながら歌っていくんです。ドラムのスネアの音を拾うようなマイクもあったりして。それで、どのマイクが私の声に合うかっていうのを調べて、エンジニアが「この曲ならこのマイクだ」とかって。「君の場合はどれもあまり変わらないので、やっぱり普通のゴッパーマイク(SHURE SM58)でやろう」と。でも、スタジオの後ろの方に、マイクを何本か立てて、広がりや奥行を持たせるようにして。

—いわゆるアンビエント・マイクですね。

麻倉:そんな録り方をしたことがなかったので。オリビア・ニュートン=ジョンさんも、同じやり方をしたことがあったそうで、彼女は曲によってマイクが違うらしいんですね。その話を聞いて、私もそろそろ彼女のようにいろんな曲を歌っていける年齢に入ったかなって、思ったんです。だから、オーストラリアの経験がなければ、ずっとロックを歌っていたかもしれない。そこで、ちょっと自分の気持ちが変わっていったかなって。

—そう思うとキャリアの中でとても重要なレコーディングでしたね

麻倉:間違いなく、そうですね。

—ミュージシャンとのコミュニケーションはいかがでしたか。

麻倉:私は日本食が大好きなので、アパートでおにぎりを作ってスタジオに持っていったりしていたんです。そうすると「それはなんだ?」っていうから、味付け海苔と一緒に渡したら「美味しい!」とか言って、10パックぐらい持っていた海苔を全部取られちゃった。だから、後からシドニーに来るスタッフに、梅干しと味付け海苔を持ってきてもらうようリクエストしました(笑)。

—じゃあ、シドニーに日本文化を広める貢献をしたんですね。

麻倉:ミュージシャンたちもすごくいいメンバーだった記憶があります。佐藤準さんがちゃんとメンバーを仕切ってくださっていたし。すごく楽しかったです。

—『WARM ICE(AUSSIE BLEND)』は音楽的にもまだロック色が強いですが、さっきのレコーディングでの影響もあったのか、その次の1986年12月リリースの『By Myself』は再びアダルトなイメージに戻ったような印象があります。

麻倉:たしか、「ミスティ・トワイライト」路線に戻ろうかっていう話になったんです。

—やっぱりその路線かなっていう感覚があったんですか。

麻倉:そうですね、ロック路線をずっとやっていてもいいのかもしれないけれど、やっぱり「ミスティ・トワイライト」は私にとって忘れられない曲で、ずっと歌い続けたいっていう気持ちがあって。

—この時点で麻倉さんはまだ20代半ばです。やっぱり年相応に少し大人っぽい方向に路線変更していこうということだったんですね。

麻倉:ロック路線はそれで良かったのかなって思っているんですが、そろそろ大人っぽい方向に戻してもいいお年頃になってきたんじゃないかと。

—このアルバムの歌詞カードを見ると、麻倉さんがエッセイを書かれているんですよ。

麻倉:ああ、書きましたね(笑)。何を書いたか覚えてないんですけれど。

—とても面白かったですよ。

麻倉:やだ、何書いているんだろう(笑)。怖いな。

—女性の生き方をアピールしよう、みたいな企画だったんでしょうか。

麻倉:おそらく、私自身がどういうライフスタイルなのかをアピールしつつ、その時代の女性のライフスタイルを描くっていうのが、コンセプトだったような気がします。

—短い文章なんですけど、4つのテーマがあって、特にパートナーというテーマでは、恋愛について書いていたりもしています。90年代以降になると、例えば今井美樹さんなんかが、女性のライフスタイルを、音楽で発信していくようになりました。そう思うと、結構時代的に早いですね。

麻倉:先取りしちゃったのかも(笑)。

—ロック路線で強い女性像を演じられていたと思うので、 自分の考え方をしっかり打ち出そうということだったのかもしれないですね。

麻倉:年齢的にも、自分が元々やりたかった音楽をやっていきたいなっていうのは、私の中の変化としてあったと思います。

—その後の1987年10月リリースの『Scarlet Love』も大人路線ですが、華やかな感じもしますね。洋楽曲もありつつ、大人っぽいいわゆるニューミュージック的な音楽とのミックスという印象です。

麻倉:「Foxy Lady」では丸山圭子さんに歌詞をお願いしました。そうやって少しずつ元の大人っぽい路線に戻していったんです。

1988年2月にリリースされた『Elegant Talk』は、井上陽水の「WHY」や松任谷由実の「九月には帰らない」のカヴァーが入っていて、ベクトルがまた違う方向に行ったように感じます。少し和な感じというか。このあたりは、何か思惑あったんですか。

麻倉:ずっと洋楽のカヴァーを歌ってきたけれど、日本の曲でもたくさんいい曲があるから、そういうのも歌ってみたいなっていうようなことを、制作スタッフに言った記憶があります。

—なるほど。でも1曲だけ洋楽カヴァーが入っていて、しかもシャロン・ロビンソンが作った渋い曲を歌っているのが意外でした。これは麻倉さんが選んだんですか。

麻倉:「SUMMERTIME」ですね。そうそう、あれは私のリクエストです。ダイアナ・ロスが歌っているのを聴いて、なんていい曲なんだろうと思って歌ってみたいなって。

—和な方向に行ったかと思いきや、こういうところに自己主張が感じられて、それもまた面白いなと思いました。

麻倉:これだけはちょっと外したくないなって。訳詞もしたのですが、ここだけは手を挙げた記憶があります(笑)。「これだけは私にやらせて」って。

—和に向かったかと思いきや、次の1988年12月リリースの『SU・TE・KI』は、LA録音です。実に振り幅がすごいですね。しかも、ジョン・ロビンソン、ジェフ・ポーカロ、マイケル・ランドウ、デヴィッド・ベノワなど、すごいメンツじゃないですか。

麻倉:以前LAに取材に行った時に、「ヴォイストレーニングをやって帰る?」って言われたんですが、その時できなかったんですよ。それで、「ヴォイストレーニングに行きたいんだけど」って言ったら、「じゃあ、じゃあ向こうでレコーディングする?」ってなって。ちょっと手を挙げてみました(笑)。

—ところどころで、手を挙げますね(笑)。しかも全部叶っていて、手を挙げるのが上手い。

麻倉:ジェフリー・ウェーバーがプロデュースしてくれて。すごいメンバーだったから、歌うのがすごく楽しかったです。みんな、ナイスガイでした。「ザ・ベイクド・ポテトでライヴがあるからおいでよ」って言われてみんなで行った記憶があります。翌日にライヴを観たのと同じメンバーでレコーディングしていて、ちょっと不思議な感じでした。ジェフ・ポーカロはその数年後に亡くなりましたし。

—「ミスティ・トワイライト」のリメイクもあります。

麻倉:全然違う感じになっていますね。「ミスティ・トワイライト」は、アレンジを変えたことがなかったんですけれど、ちょっとイメージの違う「ミスティ・トワイライト」もやってみたいなって思って、彼らが料理するとどういう風になるのかって知りたかったので、やってみました。

—1989年11月に発表した『COCORO』はまたまた雰囲気が変わって、ブラジリアンですね。

麻倉:そうです。直居隆雄さんにアレンジしていただいたんですけれど、実は河口湖のスタジオで全員合宿してレコーディングしたんです。すごく楽しかったですよ。ピアノの島健さんもいらしていて、夜になって「もうこれでやめよう」っていう時と、「ご飯食べてからもう一度やろうか」っていう時があったりして。「コーラスが欲しいよね」っていうと、ディレクターが電話でメンバーを呼んで、「じゃあこれから行きます」ってバスに乗ってみんな河口湖まで来る、みたいな。皆さんが「アレンジを練りたい」っていう時は、私は「じゃあ買い物行ってくるね」とか言って、夜の買い出しに行っていました(笑)。コンサートツアーではなく、レコーディングで、合宿して録るっていうことが初めてだったので、すごく楽しかったです。

—音楽的にもスタイリッシュなポサノヴァ風で、これまでとはまたちょっと路線が違いますよね。

麻倉:そうですね。この中でもう絶対外せない、入れたいって言ったのが「マイ・ラグジュアリー・ナイト」だったんです。しばたはつみさんのこの曲は、私が高校生の頃にMAZDAのコマーシャルで流れていて。

—1977年のヒット曲ですね。

麻倉:そのコマーシャルに出ていたのが私の先輩だったんですけれど、その映像と共に流れてきた歌が忘れられなくて、「こんな曲を大人になったら歌いたいな」って思っていたのをずっと温めていて。いつになったら歌えるだろうか、このタイミングかなそろそろっていうので、この時に「この曲だけは入れてほしい」ってお願いして。後に、はつみさんにお会いした時に「未稀ちゃん、ずっと歌ってよ」っておっしゃってくださいました。亡くなるちょっと前くらいまでは、酔っ払って私の携帯に電話くれたりして、めちゃくちゃ可愛いらしい人だったんです。

—そのブラジル路線が次の1990年発表の『Omni-Dream⇒Rakuen』で、すごく振り切った感があります。けっこう本格的にボサノヴァやサンバなどのブラジル音楽に向かっていますね。


麻倉:ギタリストのKATSUさんがプロデュースしているんですが、彼の友人がポストンに住んでいて、バークリー音楽大学の教授をやっていたので、じゃあ向こうでレコーディングしようかっていうことになりました。この次の路線を考えた時に、少しブラジリアンなのもいいんじゃないかな、となってかなり振り切ったんです。それが良かったかどうかはわからないんですけれど、レコーディングはめちゃくちゃ楽しかったですね。

—選曲が面白いですね。アントニオ・カルロス・ジョビンの正統派のボサノヴァ「Desafinado」から、フランソワーズ・アルディの「さよならを教えて」、映画『バグダッド・カフェ』の主題歌「Calling You」、そして、さだまさしまで。

麻倉:外国の曲だけじゃなくって、日本語の曲をちょっとアレンジしてみるのも面白いかなって思ったんです。

—海外録音なのに日本の曲をしっかりカヴァーしているのが、いいなと思いました。

麻倉:逆に、日本語の曲を彼らはどうアレンジできるのか、っていうのがすごく私にとってはすごく興味がありました。あまり振り切り過ぎると、「ちょっとやり過ぎている」ってちゃんと言うんですけど。でも、わりと自由でそのまんまですね。

—そして、ちょうどデビュー10周年のタイミングの1991年に、『Sincerely Yours』というカヴァー・アルバムがリリースされています。これは日本語曲と外国曲どちらもありますね。

麻倉:ほぼ、私が歌いたい曲を選びました。ピーター・アレンの「あなたしか見えない」や、尾崎亜美さんの「マイ・ピュア・レディ」は前々から歌っていたということもあって。あと、「Mr.サマータイム」はサーカスさんのコーラスのイメージがあるのでどうかなと思いつつも、でも歌ってみたいなって思って選曲しました。

—こうやって曲目を並べてみると、なんとなく共通項がありますね。ちょっと憂いのある哀愁味のあるメロディを好んで歌われるのかなって思います。

麻倉:確かにそういう感じが大好きですね。

—遡ると、「ミスティ・トワイライト」もそうなので、やっぱり本流は大人っぽい路線なんでしょうね。一般的には「ヒーロー」や「RUNAWAY」のようなロックなイメージかもしれないけれど、実はそこなんだと。

麻倉:そうなんです。「ヒーロー」はいつか歌えなくなるかもしれないけれど、「ミスティ・トワイライト」は80歳になっても歌えるってみんなに言われるんです。80歳まで生きているかはわからないですけれど(笑)。

—今回配信された楽曲は主に、1981年にデビューされてから『Sincerely Yours』までのおよそ10年間ですが、振り返るとこの10年はどうでしたか。

麻倉:今思えば、非常に早いペースで多くの楽曲を歌うことができたんだなって思います。当時、私は「これをやりたいなあ」って思ったことが、私の思いだけでなく、スタッフの思いと共にちゃんと乗っかっていますし。自分がやりたかったことが全部できているなっていうのはありますね。出来るようで、出来ないことってたくさんありますが、「ここまで出来ていたんだ!」って感じます。

—ものすごく濃密な10年間ですよね。しかも、ラインナップを見ると、バラエティに富んでいますし。

麻倉:どなたかが、私のことを「幕の内弁当みたいな人ですよね」っておっしゃっていて、その表現がぴったりかもしれないって思ったことがあります。「麻倉さんってこういうタイプですよね」って決められるのが好きじゃなかったんです。そこを全部振り払って逆らっていくのが好きだったっていうのもあるのだけれど。だから枠組みはいらないっていう風に思っていて、上手く枠組みからは外れたなって感じます。

—というか、もともと枠組みがなかったんですよね。

麻倉:そう、なかった!(笑)

—今後やってみたいことってなんですか。

麻倉:まだレコーディングはできていないんですが、松井五郎さんに訳詞をしてもらっている曲が1曲あるんですね。ミルバが歌っていた「愛遥かに」っていう曲。すでに日本語詞もあるのですが、そうではないイメージで、松井さんにお願いしていて。売野雅勇さんもそうなんですが、松井五郎さんも作詞家デビューが1981年で同期なんです。40周年の時の作詞もお願いはしたんですけれど、「愛遥かに」のようなドラマティックなバラードも歌える年齢になったのかなって。

—ロックだけじゃないぞってことを、あらためてアピールするということですね。

麻倉:「ヒーロー」も実はいろんな形で歌うことができる曲なんです。ロック色ガンガンに歌うのもありだけれど、ピアノ1本やギターとのデュオなどいくらでも料理の仕方ができる不思議な曲。だからロック系は若い方にお任せして。自分が歌手になったらこういう曲歌いたいなと思っていたのは憂いのあるバラードなので、少しずつそっち方向に持っていきたいなっていうのはちょっと思っています。

—それは楽しみですね!これからもご活躍を期待しています。

麻倉:はい、頑張ります!

(完)


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麻倉未稀プロフィール

1981年、CMソング「ミスティ・トワイライト」でデビュー。伝説のTVドラマ「スクール・ウォーズ」「スチュワーデス物語」 の主題歌「HERO」「What a feeling~FLASH DANCE」はいまだに強烈な印象を残す。
ジャンルを超えたその類まれな歌唱力は折り紙つきで、実力派歌手が苦手とする、カラオケマシーンによる採点で勝負を決める「カラオケ★バトル芸能界NO1決定戦」(TV東京)で見事優勝し、カラオケマシーンさえも太鼓判を押す歌唱力!と喝采を浴びる。現在は、歌の活動のみならず、ミュージカル等の舞台や、旅番組のレポーターとしても活躍。2017年にTBSテレビ「名医のTHE太鼓判!」にて乳がんが発覚。全摘手術を受けるも奇跡的な回復にて、術後3週間でステージに復帰。その後も精力的に音楽活動を続ける。更に2018年には地元の藤沢にて「ピンクリボンふじさわ」を立ち上げる。その他「ピンクリボンウォーク」、「ピンクリボンシンポジウム」など乳がん検診の啓発運動にも積極的に参加し続けている。


栗本斉プロフィール

音楽と旅のライター、選曲家。1970年生まれ、大阪出身。レコード会社勤務時代より音楽ライターとして執筆活動を開始。退社後は2年間中南米を放浪し、帰国後はフリーランスで雑誌やウェブでの執筆、ラジオや機内放送の構成選曲などを行う。開業直後のビルボードライブで約5年間ブッキングマネージャーを務めた後、再びフリーランスで活動。著書に『ブエノスアイレス 雑貨と文化の旅手帖』(毎日コミュニケーションズ)、『アルゼンチン音楽手帖』(DU BOOKS)、共著に『喫茶ロック』(ソニー・マガジンズ)、『Light Mellow 和モノ Special』(ラトルズ)などがある。2022年2月に上梓した『「シティポップの基本」がこの100枚でわかる!』(星海社新書)が話題を呼び、各種メディアにも出演している。

◆【麻倉未稀「筒美京平」との出会い】プレイリスト
https://lnk.to/MikiAsakura_PL4



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