プログレを聴こう~KENSO探求紀行~Vol.10
KENSO『内ナル声ニ回帰セヨ』(2014年)清水義央によるセルフライナーノーツ
2006年に『うつろいゆくもの』をリリース、10月17日のCD発売記念ライブで前年のアメリカ“NEAR FEST”でのライブパフォーマンスを収めたDVD『LIVE IN USA』を発売と、小森君が加入してからの新生KENSOは突っ走っていた。
いつものことで精神的な疲労が蓄積していたが、小森君が興味深い話を持ってきてくれ、元気が出た。京都の老舗ライブハウス“RAG”からの出演依頼である。2007年5月4日、我々のライブを待ち望んでいた関西方面の方が温かく迎えてくれ、それはとても楽しい経験であった。
その直後5月27日には新横浜のキャパ200名くらいの小さい会場で、KENSOの音楽を実演とともに解説する通称ワークショップライブを開催。お客様も大変喜んでくださり、「今までのKENSOのライブの中で一番面白かった」という「そりゃないだろう」と突っ込みたくなるような感想も頂いた。
『内ナル声ニ回帰セヨ』収録曲はこのあたりから作り始めたと記憶している。21~22歳くらいに作った曲の一部分、ずっと心の中で鳴っていたメロディを元に曲を作りたいという気持ちが私の中で高まっていた。それが後に「若き日の私へ」と「新宿厚生年金に空」になる。
2008年7月のRAGでのライブで新曲3曲を初演、その直後に川崎クラブチッタで行ったライブはとても充実したものとなった。
2010年6月には『内ナル声ニ回帰セヨ』の制作のためにリハーサルスタジオに集まり新曲のアレンジを詰めた。
8月8日にNHK- FM『今日は一日プログレ三昧』に出演。私はここで二人の“プログレ人”と出会う。一人は私より一歳年下の山田五郎さん、もう一人は私より29歳年下のベーシスト関根史織さんだ。
山田さんの博識ぶりはNHKの美術番組などで存じ上げていたが、ここまでプログレに愛情とこだわりを持っている方だとは知らなかった(ご自身のことを“プログレ原理主義者”だとおっしゃっていたような)。そして関根さん、「この若い娘がなんでそんなに70年代プログレのことをよく知っているんだ!」と驚くほどのプログレ・マニアだったのである。
難波弘之さんが、来日したイギリスのプログレバンドのコンサートレビューで「こんなに素晴らしい音楽が我々と一緒に墓に入ってしまうのは本当に惜しい」「聴衆は高齢化して、ロックコンサートというより何かの学会会場のようだ」と書かれていた記憶があるが、私はこの日に一人の若きプログレ継承者と出会った。
そんな出会いが「A Song of Hope」の作曲を後押ししてくれた。
70年代のロックで育った私、22歳くらいまでは歌詞付きの曲を作っていた。その後、自分の作詞家としての才能の無さを自覚し、しかもインストのほうが曲作りの自由度が高い気がして『KENSOⅡ(SECOND)』以降は原則インストバンドとして活動してきた。しかし、1曲くらいは歌詞のついたロックナンバーを作って、そこに自分のメッセージを込めるっていうのもしてみたいなと思い始めた。
アイルランドのバンド、IONAのギタリストDave Bainbridgeから教えてもらったケルティック・フォークで使うという変則チューニングを少しモディファイしたチューニングで12弦アコギを弾いているうちにメロディはできてきた。
問題は歌詞だ。まずは 私が10代の頃に作った何編かの詩をベースに、LED ZEPPELINやBLACK SABBATHといった私が影響を受けたブリティッシュ・ロック・バンドをイメージした言葉を散りばめていった(まずは日本語でね)。
歌詞の中の「ロックとは?」という問いかけに対する答えは、山田五郎さんを含む、私の信頼するロックマニアの方々からの意見を大いに参考にした。そしてそれを『プログレッシヴ・ロックの哲学』という本を著した、当時は慶應義塾大学教授、現在は慶應義塾ニューヨーク学院長の巽孝之先生に紹介して頂いた先生の教え子である藤田依里奈さんに翻訳をお願いした。
英詞を藤田さんが朗読してくれたものを頼りに“歌あり”部分を作曲していったのだが、途中、行き詰まると「ネイティヴでもない自分が英語の歌を作るなんて土台無理だったんじゃないか」という気持ちに陥ったり、かなり大変な作業であった。
さて、その曲を誰に歌ってもらうか、、、、最初はあるブルーズロック系女性ヴォーカルに頼もうと思ってデモ音源まで送り、先方も乗り気(多分ね)だったのだが、いろいろあって私は一人のクラシックの歌手を旧友・石黒彰氏から紹介してもらうことになった。
メールや電話でたくさんのやりとりをし、2011年5月5日、ソプラノ歌手として活躍しながら大学でも教鞭を執っている半田美和子さんに会うため、某音楽大学に足を踏み入れた。キャンパスのあちこちから楽器の音が聴こえてくる中、レッスン室に私と半田さん二人きり。私の下手くそなピアノに合わせて歌ってくれるその歌声の素晴らしさといったら!!鍛えられた声って凄いっ!
リハーサルの後、半田さんが大好きな現代音楽や私が大好きなタイプのプログレについての情報交換で初対面とは思えないくらい大いに盛り上がり「クラシックの歌手と(『KENSOⅡ』のエピソードを読んでみてください)うまくコミュニケーション取れるのか」という私の心配は雲散霧消した。
そんな経緯で「A Song of Hope」は出来上がった。
話は前後するが『内ナル声ニ回帰セヨ』は今までのKENSOのレコーディングとは趣を異にする方法で行われた。小森君が“人間部活動”に入るため、ドラムのレコーディングを他の楽器のダビングが終わった後に行うことになったのだ。
2010年11月DTMの達人・小川悦司さんがコンピュータを駆使して2008年のライブにおける小森君のプレイをシミュレーションしたドラム・トラックを作ってくれ、他の4名はそれに合わせて音を重ねていった。
そして!満を持してのドラム・レコーディングは2013年1月に宇都宮のスタジオで大御所エンジニアの赤川新一さんが行い、その後のミックスもお願いすることになった。
小口曲「Voice of Sankhara」のドラム・アレンジは某ロックバーにMacBookを持ち込んで、小口&小森が深夜まで酒を酌み交わしながら紡ぎ出したものだそうだ。小口君らしい斬新な発想(昭和初期の歌謡曲的なものをイメージした部分もあるといっていたような)とlogicが満載された傑作だ。
光田曲「江天暮雪」はピアノとギターのデュオ作品で、近代クラシック音楽が好きな私にとって大変そそられる曲であったが、一方でロックギタリストである私には演奏するのが非常に難しい曲でもあった。でも、自分の全てを込めて一所懸命弾きました。光田君に「音色もプレイもバッチリですね」と言ってもらえた時、本当に嬉しかった。
前作の『うつろいゆくもの』は“NEAR FEST”で大喝采をうけた後の高揚感の中で作られたが、本作はそれぞれの人生の風景が反映された、より深みのあるアルバムになったと自負している。
スペースの関係で詳細には触れられないが、赤川さんの音作りは圧巻で、本作を豊穣な作品に仕上げてくれた。
余談だが、キングレコードで本作のプロモーション会議が開かれた時、 「清水さん、とりあえず会議の出席者に1曲聴いてもらうとしたらどれですか」と問われ「8曲めの《A Song of Hope》を」と答えた。
そして女性社員が CDプレイヤーで“8”を選んで曲が流れてきた瞬間、その女性社員を含め複数の出席者が「これ、KENSOじゃないでしょ。間違いでしょ」と感じ、私の方を見た。
私は言った「いや、これでいいんです」と。
懐かしいな。
さて、“プログレを聴こう~KENSO探求紀行~”も今回が最後になる。
2ヶ月半の間、記憶と日記と『KENSO COMPLETE BOX』のブックレットと『KENSO結成40TH記念本』を頼りにKENSO史を綴ってきた。
そして奇しくもこの最終回を書いている最中に、遂にKENSOが新作のレコーディングに向けて動き始めた。
この“KENSO探求紀行”を書くために、KENSOの活動歴や参加してくれたメンバーのことを振り返ることができたのは、きっと次のアルバムに生きてくると思う。才能と熱意とを併せ持った彼らが、私をここまで引っ張ってきてくれたのだ。彼らへの恩返しのためにも、素晴らしい新作を作ろうと心に誓った。
今回の配信でKENSOの音楽に初めて触れた方、ぜひこれからもKENSOに興味を持ち続けていただきたい。そして、長く我々の音楽を愛好してくださっている方々、あなた方と音楽を介して繋がることができ大変幸せです。長年のご愛顧に感謝します。
■KENSO『内ナル声ニ回帰セヨ』(2014年)
https://lnk.to/uchinarukoeni
■プレイリスト第1弾「KENSOの前にコレを聴け」
https://lnk.to/KENSO_Playlist1
■プレイリスト第2弾 「KENSOを聴け(初心者編)」
https://lnk.to/KENSO_Playlist2
■プレイリスト第3弾「KENSOを聴け(マニア編)」
https://lnk.to/KENSO_Playlist3
■プロフィール
清水義央 Yoshihisa Shimizu (Guitar)
小口健一 Kenichi Oguchi (Keyboards)
光田健一 Kenichi Mitsuda (Keyboards)
三枝俊治 Shunji Saegusa (Bass)
小森啓資 Keisuke Komori (Drums)
1974年、リーダーの清水義央を中心にKENSOを結成。バンド名は在籍校であった神奈川県立相模原高校の略称“県相”に由来する。1980年に自主制作盤1stアルバム『KENSO』をリリースし、1985年にキングレコードのNEXUSレーベルより3rdアルバム『KENSO(Ⅲ)』でメジャー・デビュー。以降、メンバーチェンジを経ながらも長きに亘って活動を継続。ロックをベースに、クラシックやジャズ、民族音楽といった様々なジャンルの要素を採り入れた音楽性や高度な演奏テクニックによって国内外で多くの支持を集め、海外のロック・フェスティバル出演経験も持つ日本屈指のプログレッシヴ・ロック・バンド。