森口博子 サブスク配信がスタートした176曲へ愛をこめて
2024年2月14日、森口博子がこれまでキングレコードからリリースしてきた全曲のサブスプリクション配信をスタートさせた。1985年に『機動戦士Ζガンダム』のオープニングテーマ「水の星へ愛をこめて」でデビュー以降、様々なジャンルで活躍。2019年から2022年に発売されたアルバム『GUNDAM SONG COVERS』シリーズが大ヒットし、シリーズ3作品全てがオリコン週間アルバムランキングにてベスト3以内にランクイン!歌い続けてきた彼女は来年には歌手生活40周年を迎える。豊富な楽曲群の中には、『NHK紅白歌合戦』歌唱曲で人気の「ETERNAL WIND~ほほえみは光る風の中~」「スピード」「ホイッスル」「Let’s Go!」も含まれているが、森口博子の真っ直ぐで温かみのある歌声によってさまざまな名曲が隠されてもいる。さまざまなアーティストやクリエイターと紡いできた軌跡をたどりながら、森口博子本人がきらめくグッドソングを掘り起こしていく。
“隠れた名曲、隠さないぞキャンペーン中!”ですから!
――森口さんの楽曲がサブスク解禁されるのを待ち望んでいたファンも多いと思います。ぜひ、多くの楽曲たちを振り返っていただければと思うのですが、その前段階としてまずは、多くの人が惹きつけられる歌声と歌唱力のルーツについても教えていただけますか? 森口さんといえばデビュー時はもとより、小学生のときから優れた歌唱力の持ち主であったとはよく知られていますが。
森口 いえいえ。でも、保育園の頃から歌が大好きでいつも歌っていて、4歳のときにはもう「歌手になる」と卒園文集でも宣言していましたし、地元ののど自慢番組で勝ち抜いてチャンピオンになったり、浪曲を歌っている大人に勝ったりもしたんですけど、ボイトレに通い始めたのも小学校1年生の頃だったので、歌声のルーツとなるとそれはもう……「ギフト」?
――その一言に尽きると。
森口 大人になった今、すごく実感するんですよね。
――歌唱指導を受け始める前でも、TVから流れる歌を真似してよく歌っていたのでしょうか?
森口 はい!小さい頃から好きな歌手は、太田裕美さんやアグネス・チャンさん、岩崎宏美さん、渡辺真知子さんや八神純子さん。それから小学校高学年になって憧れたのが松田聖子さん! 歌唱力もあって歌声も楽曲も素敵という方が大好きでした。だから、そういう方たちの歌をよく歌っていました。
――自分は歌が上手いということは自覚していたんですか?
森口 全然。今でも自分では歌が上手いなんて思っていないんですよ。私よりも上手い人なんてごまんといますし、例えば、コンサートや歌番組で歌った音源を聴くと、全然イメージ通りには歌えていないです。だけど、とにかく歌うのが好きな子供で、「歌手になりたい」ではなく「歌手になる!」と思っていました。
――親や親戚から褒められたからではなく、強い意志で。
森口 はい!でも、褒められるのもすごく嬉しかったです。学校に行くと「(本名の)花村さん、歌って」と言われて、歌うと拍手してくれるのは気持ちが良かったです。中学生のとき、いくつかの学校が集まってキャンプファイヤーをしたことがあって、各学校が出し物を用意するんですけど、生活指導の先生から学校代表で歌うようにと言われたんですよ。「えーっ! うっそーっ!? 嬉しいーっ!!」って思って(笑)。
――「嬉しい」って思えるのがすごいですね(笑)。
森口 別に自信はないんですよ。でも嬉しかったですし、実際、大自然のエコーが効いた中で歌ったのは気持ち良かったです。トラ(ンジスタ)メガ(ホン)を持って松田聖子さんの「青い珊瑚礁」を「あーっ、わたーしーの」って歌いました。次の日、知らない他校の男子から「あ、あいつだ」みたいな感じで指を指されて。
――アイドル気分を味わったんですね。
森口 味わっちゃいましたね。でも、特に大きかった喜びは小学生の頃『ちびっこものまね紅白歌合戦』に合格して中野サンプラザで生バンドをバックに毎年歌わせていただいたとき! あの快感ときたら……。あ! そのときの感動を思い出して、今も太ももがゾクゾクきました! あの瞬間、血が騒ぐというか身体が喜んだというか「私の居場所だ!」と思ったんですよね、幼心に。私のライブの原体験です!!勧められて音楽学院に入ったあともちびっこのど自慢の世界大会で日本代表に選ばれて、アメリカや韓国、インドから集まった子たちの前で着物を着て演歌を歌ったこともあります。
――演歌も好きだったんですね。
森口 好きで歌っていました。でもあるときから、演歌をしばらく禁止されちゃいました。最初は先生もレッスン曲として選んでいたんですけどあまりにも私がコロコロとコブシを回すから、ポップスの歌手になりたいのに演歌の癖がつくと困るということで。
――それだけ歌手に対する強い情熱を抱く中で決まったデビューが「水の星へ愛をこめて」だったんですね。
森口 『機動戦士Ζガンダム』の主題歌を歌うと決まったとき、「私の歌が毎週皆さんに届けられるんだ」と思って、デビューできることが本当に嬉しかったです。ところが蓋を開けてみたらアイドルとは扱いが全然違っていて、レコード屋さんに自分のレコードを置いてもらえないんですよね。曲はすごくいいのにアニメというだけで。それがすごく辛かったです。
――しかも、デビューから1年余りで福岡に帰されそうになったことは有名です。
森口 アニメでデビューした私はそんなに期待されていなかったんですよね。堀越学園に高2から通い始めて、卒業間際に事務所からリストラ宣告を受けました。悔しくて悔しくて。大人の矛盾に負けていられない!これでは帰れないと思って、「どんなお仕事でも頑張りますから帰さないでください」とお願いしました。その先には絶対歌があると信じて。いただいた仕事は手を抜かないで、まずは名前と顔を覚えてもらおうという目標を持って頑張りました。
――ただ、80年代は毎年コンスタントにシングルをリリースし、85年と89年にはアルバムも出しています。
森口 そこなんですよね。制作と事務所の上層部とで違っているというか、期待されていないから仕事もないんですけど、事務所のマネージャーやキングレコードのスタッフの方々は可能性を信じてくれたんですよね。ただ、アニメでデビューした私のCDはやっぱりお店には置いてもらえなくて。だからチャンスが欲しかったです。「チャンスをもらってダメなら納得いくけど、何にもチャンスをもらっていない」って、大人に対して悶々とした気持ちでしたね。あと、そのときに思ったのが、いい音楽と露出は比例しないということ。露出が多いからいい曲だとか、露出されていないから良くない曲ということではないんですよね。「与えられたチャンスで曲って変わるんだ」って高校生ながら本当に思いました。だから、スタートラインにも立ってない気持ちだったんですよ。
――とすると今回の全曲サブスク解禁はまさに、あのとき聴いてもらえなかった名曲を聴いてもらう「チャンス」ですね。
森口 そうなんですよ!
――ではあらためて、80年代に歌った中から聴いてほしい楽曲を選ぶとすると何が思い浮かびますか? 勿論、すべて聴いてほしいとは思うんですが。
森口 そうなんですよー! でも、今回のサブスクのキャッチコピーは「隠れた名曲、隠さないぞキャンペーン中! by森口博子」ですからね。とにかく音作りも丁寧で、全曲クオリティが高くて、制作に携わってくださった方々の熱量を感じます。誇らしい限りです。すでに配信されているもの以外で、まず、3rdシングルとしてリリースした「Still Love You」は、OVA『サーキットエンジェル ~決意のスターティング・グリッド~』のエンディング主題歌で、(ヒロコ役の)声優も担当させていただいたんです。で、曲は間奏のサックスがかなりアダルトで、10代の私が歌うにしてはとっても大人っぽいバラードに仕上がっていましたけど、ませてた子供の私はすごく好きな世界でした。
――80年代は、年齢に比べると大人びた恋愛や女性を歌っている曲が多い印象ですが、ご自身としては歌いたい世界だったんですね。
森口 長く歌える歌手になってほしいという気持ちでディレクターさんが作ってくださったんだと思います。大好きな曲調でしたね。「水の星へ愛をこめて」のレコーディングでも、大場(龍夫)ディレクターから「君が大人になっても、何十年経ってもずっと歌える曲だから、とにかく言葉を大切に。上手に歌おうと思わなくていいからね」と言われたんですけど、その想いは今でもずっと繋がっていて、歌手、森口博子の原点になっています。それから3rdアルバムの『Prime Privacy』もすごく大好きで。古さを感じさせない曲ばかりで、コンサートとなると必ずここから選曲してしまうので、スタッフからはいつも「偏っている」と注意されるくらいです。でも、ファンの方にも人気のアルバムなんですよ。今流行りのシティポップの世界を描いていて、おしゃれなアレンジでじっくり聴ける曲調も多いし、私の声質にもすごく合っていますね。特に「Last, Last Dance」と「真夏のアリス」が大好きなんです。「Last, Last Dance」は島健さんのJazzyなピアノアレンジがとても素敵で、許されない恋のせつなさを歌っている曲です。10代ってどうしても大人っぽく見られたい年頃ですけど、この曲も背伸びして頑張っている感がありますね。でも今となっては愛おしいです。私はファルセットが綺麗と褒められることが多いんですけど、それが存分に味わえる曲でもあります。「真夏のアリス」は、美しい曲調とアコギの切なさが幻想的で空虚な夏を感じさせて、これもやっぱりおしゃれな曲ですね。
学ぶことの多いレコーディングを経験した90年代
――それでは続いて90年代の中から。ヒットソングを連発された時期ですが、その陰に「隠さないぞ!」という名曲をピックアップしていただけますか?
森口 ファンの方々の間で名曲と言っていただけている曲となると、スターダスト☆レビューの根本要さんに書いていただいた「空と雲」ですね。
――1993年7月にリリースされた『いっしょに歩いていける』収録の。
森口 すごく壮大な曲で、ライブで歌うと「みんながグッと来ているな」というエネルギーをめちゃめちゃ感じられるんですね。特にライブの後半で歌うと高まるんですけど、でもなかなかライブでは披露していないという(笑)。1996年9月にリリースしたアルバム「きっと会いたくなるでしょう」に収録されている「何処かで」も、人気楽曲!頭サビのバラードがしっとりとしているんですよ。別れた彼を思い出している大人の振り返りソング。
あとは『PARADE』に入っている「いつも夢中で見つめてた」かな。キャッチーで、90年代らしいドライな感じの打ち込みサウンドが気持ちいいですね。でも歌詞が切ない! 私の歌は意外と切ない曲が人気なんですよね。アルバム『happy happy blue』に収録の「だからここにいるんだね」もそうですね。悲しみだけじゃないこの街で、大切な人との出会いや日常を実感している名曲です。周年のライブなどで歌うと、「ずっと愛していたい、ずっと歩いていたい」のフレーズでファンのみんながユニゾンで歌ってくれたり、涙ぐんでもくれるんです。グッとくるポイントが詰まっている曲ですね。
――90年代は、西脇唯さん、岸谷香(当時奥居香)さん、広瀬香美さん、平松愛理さんといった名だたる女性シンガーソングライターの方にシングルで曲を書いていただき、アルバムでも曲を提供していただいていますね。
森口 西脇さんに書いていただいた『機動戦士ガンダムF91』の主題歌「ETERNAL WIND 〜ほほえみは光る風の中〜」は当初カップリングだったんですが、リリース直前にメイン曲に。西脇さんが「ガンダムという作品も、ずっと続いていくと思うし、歌手、森口博子さんも歌をずっとずっと続けていく人に違いないと思って、エターナル(永遠)というタイトルを付けたの」というお言葉を聞いて泣けました。初のオリコンベスト10入り、NHK紅白歌合戦初出場楽曲となり、たくさんの巡り会いを生んだ作品です。
それから香さんにお願いしたのは私もPRINCESS PRINCESSのような、前向きでコンサートで盛り上がるガールズロックが欲しかったので。それで書いていただいたのが「スピード」でした。コンサートには欠かせません!そのカップリング曲の「窓打つ雨」も香さんに曲を書いてもらい、さらにピアノも弾いてくださっているんですよ。詞はPIZZICATO FIVEの小西(康陽)さんという超バラードの名曲です。これがまた切なくて、ずっと泣いている自分にいつか心も晴れるからと言い聞かせているという曲なんですけど、このウェット感がファンのみんなの間ではかなり人気があります。
――当時の制作現場で何か印象に残っていることはありますか?
森口 あります! 「スピード」のレコーディングで香さんが私に、「ノってきた?」って聞くんですよ。「ノってくるまでうだうだしていてもいいよ」「リラックスして」って。でも、当時の私は音程やピッチといったところをすごく気にする優等生タイプで、今聴いても健気な歌い方なんですけど(笑)。だから、「え? ノ、ノってきた?」「リラックス?」ってすごく驚きがありました。でも、香さんは「歌が大好きな森口さんが気持ちよく歌っているところをイメージしながら書いた曲だから、何も考えないで楽しく歌ってね」と言ってくれて、歌うということの基本を学ばせていただきましたね。プライベートでも仲良く、仕事について語ったり。広瀬さんは「LUCKY GIRL 〜信じる者は救われる〜」のレコーディングのとき、深夜近くになったら発声練習を始めるんですよ。毎日欠かさないらしくて。でも、疲れていたらなかなかできないですよね。そのプロフェッショナルな姿勢に「私も頑張ろう!」と思わされました。広瀬さんにはボイトレをお願いしていた時期もあって、そのときに一度、「あーっ♪」って声を出したら「ねぇ、何かあった?」って言うんですよ。「なんで?」って聞いたら「声が暗い」って。
――気持ちが声に出てしまっていたんですね。
森口 わかるんですね、広瀬さんには。その瞬間、私はぼろぼろと泣き出してしまって、その日はちょっと話を聞いてもらったことがありました。声と心が連動しているということを実感した瞬間でしたね。広瀬さんともたくさん遊んでいる仲なので、お見通しですね。平松愛理さんには「Someday Everyday」でのレコーディング話があって。「Happy Luckyが待ってる場所で」のところは佐野元春さんのように歌うといいかも、って仰るんですよ。ほら、私はものまねが得意だったから(笑)。
――名だたるものまねタレントが並ぶ『ものまね王座決定戦』で優勝した森口さんですから。
森口 それで真似して歌ってみたら「さすが!」って褒められました。でも、その導き方もさすがですよね。で、その後は「じゃあ次は菊池桃子ちゃんで。(菊池桃子の声色で)Happy Luckyが待ってるー場所で♪」ってものまねで歌っていたら、どんどん時間が過ぎてましたね(笑)。それと2022年に行われたライブのゲストに来てくださり、この曲をコラボさせていただいた時は、経験を積んできた私たちの力強い歌声、我ながらカッコ良かった!
――楽しい想い出もたくさん出てきますね(笑)。ライブでもあまり歌っていない、ファンにもあまり知られていない名曲はありますか?
森口 「Seven Daffodils」とか歌っていないですね。あとは「両手を広げて」も。「なんで歌わないんですか?」ってファンの方は思うかもしれないですけど、「いや、難しいからです」って返しちゃう(笑)。当時の私でも厳しかったですけど、(実際に歌い)「アァーっ、逢いたい逢いたいあなたに逢えなくてーっ♪」ですよ。
――歌えているじゃないですか?(笑)。
森口 いやいやいやいや(笑)。でも聴いてほしい曲ですね。ただ私、高いキーが出せればいいというものではない、ということは年齢を重ねてきてすごく思っていて。配信番組をしたときにファンの方に聞いたことがあるんです。今はオリジナルキーで歌っていますが、いつか歳をとって高いキーが出なくなったら、キーを下げて歌っても聴いてくれるかどうか。そうしたら、「歌い続けてくれることが嬉しい」「全然アリだよ」と言っていただけたんですね。逆に、キーを下げた方が今の声にマッチして響きがいい曲もありますし、現にアルバムの曲とかアコースティックアレンジで歌ったとき、当時のキーで歌うより下げて歌った方が曲の雰囲気に合うとスタッフの方々に言われ、あえて余裕で出ている曲でも1音落としたこともありました。だから、このキーが気持ちいいから私はここで歌いたい、という自然な気持ちで歌うようにしていますね。
神様からもらったギフトをみんなと一緒に大切に
――続いて2000年代からも。シングルを4枚、ベストアルバムを3枚リリースされましたが、歌手活動以外に女優業やミュージカルなどにも進出し、歌の面でも一皮むけたと仰っています。
森口 2000年以降はCDが売れないと言われる時代で、私もリリースの間がちょっと空きました。レコーディングさせてもらえるのは本当にありがたいことなんだな、と今まで以上に思えたのが2000年代でしたね。一度、タイアップのお話をいただいたことがあって。それはカバーということだったんですけど、私が歌いたいジャンルではないこともあってお断りしたんです。後から思えばもったいないことをしたのかもしれないんですけど、ファンのみんなから「森口さんのペースで歌ってください」「無理して笑わなくていいですよ」という手紙をもらっていた時期でもあったんですね。胃腸を悪くするなど体調が優れなくて。
――90年代は本当に忙しい毎日を送っていましたから。
森口 ホント、そのツケが来たという感じで。だから自分のペースでいいんだと思えたんですけど、でも自分のペースで出したいと思ったら、今度は時代がそうは問屋が卸さないんですよね。「厳しいーっ!」ってなりました(笑)。そんな中にいただいたのが舞台の話でした。でも最初はお断りしたんです。やっぱり私は歌っていたいし、舞台なんて簡単にできるものではないので。ところがお断りに行ったらプロデューサーの方に、バラエティのレギュラー番組『夢がMORI MORI』を観て、ずっと私のための音楽劇をあて書きしたいと思っていた、と言われて……。もうやるしかないですよね。芸能界に自分の居場所がない、と思い始めた時期でもあったので、自分のことを見てくださった人がいるんだ!って。やってみたらすごく自信がついたし、今度はミュージカルのお話までいただけたので積極的にいろいろと挑戦してみようと思ったんですね。ところがミュージカルの外国の演出家の方には全然エネルギーが足りない、「Kill you」とまで言われたんですよ。だからミュージカルなんか2度とやらないと思ったんですけど、幕が上がったらやっぱりお客様からのエネルギーを浴びて、作品の良さにもカンパニーで創り上げていく達成感にも触れて楽しくなった上に、その演出家の方から「博子が輝いてる」なんてお褒めの言葉もいただきました。そんなときにいただいた楽曲が「もうひとつの未来~starry spirits~」でしたね。
――タイトル曲はゲーム『SDガンダム G GENERATION SPIRITS』の主題歌でした。
森口 それまでに比べて、一層丁寧な気持ちでプランを立ててレコーディングに臨むというか、1曲に向き合うエネルギーが大きいものになりました。ミュージカルでしごかれて、ボイトレで厳しい先生に出会えて、声量も表現力もどんどん変わっていった時期だったんですよ。自分でも徐々に表現の幅が広がってきた感覚はありましたね。
――カップリング曲の「それでも、生きる」も『G GENERATION SPIRITS』のエンディング主題歌でしたが、森口さんが初めて『ガンダム』ソングで作詞されました。
森口 エンディングでかかる曲と聞いて、「作詞をしていいですか」と自分から手を挙げたんです。実は以前、私がノートに詩を書きつづっていると知って、アルバム曲で作詞してみたら、とスタッフに言われたことがあるんですけど、ところがそのノートを見せたら「全部救われてないね」って言われたんですよ(笑)。私は思ったことをそのまま書いただけなんですけど、「救われないまま終わっているからせめて最後の1行だけは、ね」と言われたことがあったんですね。でも、『ガンダム』なら、と思って。
――悲愴感あふれる詞も書ける、と。
森口 「これは私の出番だ」って(笑)。思う存分、私が書きたい詞の世界にしました。そうしたら、一度も修正を受けることもなく通ったんですよ。
――救われないというか、『ガンダム』の世界は確かにままならない人生を描いていますね。
森口 そう、突然大切な人を失うこともあるじゃないですか? 自分の命を犠牲にして誰かを助けたり、多くの命が散っていったり、敵味方や善悪では語れないところが『ガンダム』の世界にはありますよね。そういった中で生き延びた人たちの想いを込めたいと思いました。私も自分が突然家族を亡くしたときとシンクロさせながら、やっぱり旅立ってしまった家族はきっと私たちに前を向いて生きてほしいんだと思うんですよ。だから、残された私たちが愛する人の死をどう受け止めて生きていくか、悲しくても生きていかなければいけない、というところのメッセージを伝えたかったんです。
――歌詞にそのスピリッツを表現できるのは、歌手人生の折々で『ガンダム』を歌い続けてきた森口さんだからこそですね。
森口 アイドルオーディションに落ちまくってた10代の自分に『Ζガンダム』が手を差し伸べてくれて、そのあとも20代で『機動戦士ガンダムF91』、30代には『G GENERATIONS』、40代で『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』、『CRフィーバー機動戦士Ζガンダム』50代で『機動戦士ガンダム ククルス・ドアンの島』に出会えたというご縁について、これはどういうことなんだろうと考えたことがあるんです。私って子供の頃から「生きるとは?」ということをずっと考えていたんですよね。小学校の卒業文集でも「現在、過去、そして未来」というタイトルで、嬉しいのか悲しいのかわからない気持ちで卒業していく、という内容を書いていました。小学校を卒業した春って、小学生でも中学生でもないじゃないですか? まだ中学校の入学式を迎えていないあの中途半端な時期、だから「どこにも私の居場所がない」って毎朝泣いていたんです。小学校2年生のときに両親が離婚したあとは母が四人姉妹を女手ひとつで育ててくれて、サバイバルな毎日を過ごしてきましたし、「生きるとは?」ということをずっと考えてきた私だから『ガンダム』の楽曲にめぐりあえたのかな、と私の中でつながった気がしました。
――間もなく歌手生活40周年を迎えます、今の森口さんが歌うときに意識していることを教えていただけますか?
森口 いただいた楽曲をもらったときの新鮮な気持ちを忘れないように、ですね。慣れすぎないというところは大切にしています。
――慣れすぎると惰性で歌ってしまうということでしょうか?
森口 慣れすぎちゃうとその日の声の調子とかに気持ちが向かってしまって、メッセージがおろそかになるんです。声が出ないなら出ないなりにベストを尽くすべきですし、基本は「この曲で何を伝えたいか」ですよね。年齢を重ねてくると特にコンディションとは日々戦いですけど、それは最低限のことだと思うんです。詞を、曲をもらったときの新鮮な気持ちを忘れないで、今日の自分で何が伝えられるか、というところは常に考えています。
――森口さんの歌は歌詞がよく伝わってくると言われますが、「伝える」ということを意識されているからなんですね。「水の星へ愛をこめて」のレコーディングでもらった「言葉を大切に」という意識を今も持ちながら。
森口 そうなんです! 私が歌手を続ける上での基本はそれなんです。私が大好きだった音楽もそうですよね。憧れの歌手の方々の歌からは歌詞が伝わってきますし、松本隆さんの歌詞や筒美京平先生のメロディーで育っているので、言葉と曲の親和性というところに惹かれてしまうんでしょうね。
――最後に。スタートでは苦労しながら40年も愛されてきた森口博子という歌手を、ご自身ではどのような歌手だと感じていますか?
森口 私の歌声って「出会い」の成分でできていると思うんです。最初は神様や両親やご先祖様がくれたものですけど、私のことを守ってくれる家族や信じてくれているスタッフの方々、ずっと求めてくれているファンの皆さんの思いが、私の歌声になっているな……って。そう思うと涙が出てきてしまうんですけど……。(涙を拭いつつ)だからこそ、感謝を忘れずにこの歌声を素晴らしい楽曲をみんなに届け続けるんだ、という使命感は持っています。
――まさしく、最初に仰った「ギフト」という言葉に結び付きますね。
森口 本当にすごく痛感します。恵まれているとしか思えないですね。なので、自分はまだまだ努力が足りないと思います、本当に。
――ただ、森口さんの歌に対する姿勢や人柄を見ていると、40年歌い続けられた背景には森口さんの努力もあったからこそだと感じます。
森口 姉がね、私が「神様にもらった声だから」と言ったとき、「いや、もらってるんじゃないよ。預かってるんだよ」と言ったんですよ。それを聞いたとき、「あぁ、そっか」とすごく納得しました。だから大事にしなければいけないんですよね。いつか寿命が尽きて神様にお返しする日が来るなら、それまでは丁寧に磨いて努力して、みんなのお役に立てるように、と思っています。私だけのものじゃないんだから恩返ししないと。「倍返しだ!」。今さらですね(笑)。
――ギフトを大切にする姿勢がファンを呼び、それによって歌い続けることができて、さらに歌が磨かれていくわけですね。
森口 レコーディングはもちろん、やっぱりコンサートやライブに育ててもらったところはとても大きいです。喉は使わないとダメになっちゃうので。ファンのみんながこの歌声を仕上げてくれています。その意味でも、求めてもらえたことで歌い続けられたこと、歌える場所があるということは本当に幸せですね。聴いてくれた方の生きる力に繋がるよう、一音入魂で!!
配信作品一覧
<シングル>
1985.8.7『水の星へ愛をこめて』
1986.2.21『すみれの気持ち ~TRY ME AGAIN~』
1987.4.21『Still Love You』
1987.11.21『枯葉色のスマイル』
1988.4.21『エンドレス・ドリーム』
1988.9.21『サムライハート』
1989.8.21『夢の合鍵』
1990.8.21『恋はタヒチでアレアレア!』
1991.2.5『ETERNAL WIND 〜ほほえみは光る風の中〜』
1991.11.21『やさしい星で』
1992.5.21『夢がMORI MORI』
1992.9.24『スピード』
1993.6.9『ホイッスル』
1993.10.21『愛は夢のとなりに 〜Dear Formula 1 Pilot〜』
1994.2.16『Let’s Go』
1994.6.22『誘惑してよね夏だから』
1994.11.3『LUCKY GIRL 〜信じる者は救われる〜』
1995.3.3『もっとうまく好きと言えたなら』
1995.6.21『あなたのそばにいるだけで』
1995.9.21『あなたといた時間』
1996.6.5『視線』
1997.3.5『その胸の中でずっとずっと』
1997.8.21『Someday Everyday』
1997.11.12『一人じゃないよ』
1998.11.6『SAY SAY SAY』
2000.11.22『明日、風に吹かれて』
2005.4.27『優しくなりたい』
2007.11.28『もうひとつの未来 ~starry spirits~』
2010.5.12『PUZZLE』
<アルバム>
1985.11.21『水の星へ愛をこめて』
1989.1.21『STILL LOVE YOU』
1989.11.21『Prime Privacy』
1991.1121『TRANQUILITY』
1992.9.16『引っ越しをするよ!』
1993.7.7『いっしょに歩いていける』
1993.12.1『あした元気になあれ』
1994.5.25『LET’S GO』
1995.7.5『PARADE』
1996.9.21『きっと会いたくなるでしょう』
1997.9.17『happy happy blue』
<ベストアルバム>
1991.6.21『ETERNAL SONGS』
1992.7.22『ETERNAL SONGS Ⅱ』
2000.6.13『ALL SINGLES COLLECTION (DISC-1)』
2000.6.13『ALL SINGLES COLLECTION (DISC-2)』
2010.7.7『SINGLE BEST COLLECTION』
各配信リンクはこちら
https://moriguchi-hiroko.lnk.to/streaming