プログレを聴こう~KENSO探求紀行~Vol.5

KENSO『スパルタ』(1989年)清水義央によるセルフライナーノーツ

『スパルタ(SPARTA)』制作時のことについて書くには、山本治彦くんが在籍していたバンドLOOKに触れないといけないだろう。

KENSOのメジャーデビューとほぼ同時の1985年春、「シャイニン・オン 君が哀しい」という曲でLOOKがデビューした。20万枚以上のヒットとなったことでテレビ出演やツアーで山本くんが多忙になってきた。

KENSOのリハーサル日程を決めるのに苦労したが、彼のおかげでKENSOのライブに女性のお客様が急に増えだしたのは嬉しかったですね。その一方で私が彼の自宅スタジオを訪問した際などに、彼の自宅前にたむろする女性達から、「KENSOの清水さんですよね。これハルキチさんに渡してもらえますか?」とプレゼントを手渡され、(それじゃ俺パシリやんか〜)と思ったこともありました。

1986年、まず山本くんが自宅スタジオでドラム、私が自宅でギター&キーボード、小口健一くん、佐橋俊彦くんは私の自宅に泊まりがけでキーボード、基本そんな形でレコーディングは進んでいったと記憶している。

山本くんは本当に忙しそうで、今考えればそれは仕方ないことなのだが、例えば『KENSO Ⅱ』の時のようにドラミングのアイディアを次々に思いついて実践するというような才気走った勢いは無くなっていたかもしれない。それでも、そんな忙しい中でもKENSOに時間を割いてくれたことに大いに感謝している。

アルバムにするにはまだ曲数が足りなかったが、録音できている曲だけでもミックスして、それを持ってリリースしてくれるレコード会社を探さないといけないという厳しい現実があった。

“一段階良い音”にするため、自宅ではなくプロフェッショナルなスタジオを借り、プロのエンジニアにミックスしてもらうことになった。予算の都合で某スタジオの“深夜0時から翌朝10時までの格安10時間パック”というプランにてミキシングを行うことになり、私は夜8時まで診療してから青山にあったそのスタジオに向かうという若くなければ絶対に無理なことをやっていた。

でも、完成した音は自宅ミックスから格段にグレードアップしており、カセットテープにダビングしてもらったものをスタジオからの帰り道にウォークマンで聴いた時、嬉しくて涙がでた。

さて、上記の理由でリハーサルに山本くんが来れないことが多くなり、彼のドラムだけを録音した“ドラムカラオケ”を流しながらそれに合わせて練習するという非常に不安定な状況の中、私は山本くん以外のドラマーを探すということを考え始めた。それは凄い難題だろうなと覚悟していたが、1987年に佐橋くんが紹介してくれた東京芸大打楽器科在籍中のドラマーとリハーサルで初めて一緒に演奏し、その疾走感のあるドラミングに瞠目した。それが、その後日本を代表するドラマーのひとりとなる村石雅行くんとの出会いだった。

1988年夏にドラマーが村石くんに代わって初のライブをシルバーエレファントで行った。私は彼のドラミングに魅了され、“10時間格安パック”でミックスが終わっていた曲のうち「Good Days, Bad Days」「美深」を除いた数曲のドラムを村石くんのドラムに差し替えてしまった!ああなんという非情な私。山本くん、ごめん!

しかし、そんな風にして出来上がったテープを持って色々なところにアプローチしてみたが、前述のように全然リリースしてくれる会社が見つからなかったのですよ。当時、ニューエイジと呼ばれる“癒し系”音楽が盛り上がっていたので「清水くんの多重録音によるソロアルバムだったら考えてあげても良いよ」と言われたこともあったが、それはありえない。

そんな頃のことだ。『KENSO Ⅱ』から一緒に活動していた努力家ベーシストの松元公良くんは公務員を生業としていたが、優秀だった彼は職場から期待され、仕事がどんどん忙しくなってきて、ベースに取組む時間の確保やモチベーションの維持が難しくなっていたのだろうと推測する。

それゆえ、新進気鋭のドラマーである村石くんと(当然と言えば当然だが)“リズムセクション”としてバランスが取れなくなってきていた。要するにドラムがウマすぎるのだ。村石くんに相談したところ、「以前一緒にバンドをやったことのある非常に良い音を出すベーシストを知っている」と三枝俊治くんを紹介してくれ、血も涙もないリーダーである私は独断でメンバーチェンジすることにした。

村石&三枝のリズムセクションは素晴らしく、私の中で新しいKENSOの構想が渦を巻き始め、創作意欲が湧いてきて、のちに「金髪村の石」と呼ばれる曲(曲名は、一時期村石くんが髪を金色に染めていたことに由来する、、、、らしい。“らしい”って自分で考えたのだろう?“歓迎!村石様”という意味合いがあったことは間違いないのだが)を短時間で書き上げ、小口くんもこの二人ならではの(山本・松元というリズム隊には似合わないであろう)「月夜舟行」という素晴らしい曲を書いた。

バンドの勢いのある時は良いことも重なるもので、六本木ピットインでのライブを見にきてくれていたキングレコードのディレクターが終演後に「KENSOの新作に色気は持っているよ」という嬉しい一言を私に残してくれ、後日私がキングレコードに連絡をし、晴れて新作『スパルタ』がキングレコードからリリースされることになったのだ。めでたしめでたし、、、
なのだろうか、、、、、


■KENSO『スパルタ』
https://lnk.to/SPARTA

■プレイリスト第1弾「KENSOの前にコレを聴け」
https://lnk.to/KENSO_Playlist1

■プレイリスト第2弾 「KENSOを聴け(初心者編)」

■プレイリスト第3弾「KENSOを聴け(マニア編)」
https://lnk.to/KENSO_Playlist3

■プロフィール
清水義央 Yoshihisa Shimizu (Guitar)
小口健一 Kenichi Oguchi (Keyboards)
光田健一 Kenichi Mitsuda (Keyboards)
三枝俊治 Shunji Saegusa (Bass)
小森啓資 Keisuke Komori (Drums)

1974年、リーダーの清水義央を中心にKENSOを結成。バンド名は在籍校であった神奈川県立相模原高校の略称“県相”に由来する。1980年に自主制作盤1stアルバム『KENSO』をリリースし、1985年にキングレコードのNEXUSレーベルより3rdアルバム『KENSO(Ⅲ)』でメジャー・デビュー。以降、メンバーチェンジを経ながらも長きに亘って活動を継続。ロックをベースに、クラシックやジャズ、民族音楽といった様々なジャンルの要素を採り入れた音楽性や高度な演奏テクニックによって国内外で多くの支持を集め、海外のロック・フェスティバル出演経験も持つ日本屈指のプログレッシヴ・ロック・バンド。

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